マニュアルをじっくり読むということ

私は昭和32年3月に県立大聖寺高校定時制片山津分校を卒業した。今もいろいろな事情で定時制で学ぶ人がいるのでしょうが、当時の生徒はみんな素晴らしい人が多かったように思う。人一倍向学心をもちながら何らかの事情で行けなかったという人たちだ。

 私は小松製作所粟津工場の技能者養成所(工科学校と言った。)にはいり、夜間に定時制へ通った。動橋、山代、山中からも少しずつ同じような人がいた。
 そこで表題のことに入る。そのころ、まだ若くて非常に理想に燃えている、石川啄木を思わせるような先生が居た。情熱がありそうで又醒めている様な、すこしニヒルな感じが私には好感がもてた。
 その先生をここではY先生とします。もう卒業も迫った事務室で私にボソボソといってくれた言葉を思い出す・
 「ノブ、どこへ就職するにしても、何か書類を読む事があるだろ、そのときはじっくり読みなさいよ。」と言う注意だった。私の性格を見通した助言だったと思う。現役時代にも時々この助言を思い出して何回か文書は読み直すようにしたものだ。しかし、何回読んでも分からないとき、頭に入らないときがあったが、これは私の頭の構造上の問題だから愚痴をいってもはじまらない。

 最近、パソコン、ケイタイデンワ、TV、デジカメなどの操作で上手く出来ない事が多くなってきてイライラすることがよくある。若い人に尋ねるとすこしマニュアルを読んだら、とつめたい反応が返ってくる。どうもその若者の対応は間違ってはいないのだ。手を取り足を取って教えても身に付かないという事がわかっているのだろう。
 コツコツ苦労して一から試行錯誤を繰り返すのが一歩前進したことになるのだ。
 
 物分りの鈍さはある程度持って生まれたものだから仕方がないとして、私にも何か別の恵みは人より余計に恩恵を受けている事もあるのだろうから、ウラミ、ツラミは言わずに分かる範囲で楽しむ事に決めた。

 しかし、何回か挑戦してみたい、執念深く、大リーグへいった岩村選手のように「なにくそ精神」で繰り返す。
自分の分かるところまで、人とは比較してもはじまらない。幸い、年金生活に入っているから、その日食えれば良いので、贅沢を競う気持ちも何ひとつない。

 だから人生で今が一番いいときで、誰にお礼を言ったらよいのでしょうか。神、仏と言うと照れてしまいますが、何ものかに感謝、感謝です。

 ただ今地震に遭っていないこと、これだけでも大変な恵みです。

            「有難うございます」